Chapter1.出会い〜Denmark in 2008 [Whitacrian]
オフィシャルストーカーと呼ばれた女
私が初めてエリック・ウィテカーの音楽に出会ったのは、
2003年11月全日本合唱コンクール全国大会一般部門Aグループで、
ヴォーカルアンサンブル<EST>が自由曲にウィテカーの「Water Night」を演奏し、
見事に一位金賞を受賞した、正にその時でした。
私が所属している合唱団京都エコーも1999年の全国大会までコンクールに出場して金賞を獲得し続けていました。
ヴォーカルアンサンブル<EST>が小編成グループなのに対して、合唱団京都エコーは大編成グループなため、その音楽趣向は互いに全く異なるものでした。
合唱団京都エコーは、古典の音楽を取り上げ、大人数の醍醐味で喜怒哀楽を表現し、聴く者の心を鷲掴みにして、大編成部門での金賞を獲得し続けてきました。
一方、小編成の<EST>は、難解な現代曲を取り上げ、その複雑な音色を見事なテクニックで歌い上げて小編成部門での金賞を獲得していました。
大編成グループ「合唱団京都エコー」に所属している私にとっては、ウィテカーの複雑な現代の音色は、とても幻想的な印象で私の中に入ってきました。
それは、今まで聴いたことのない、繊細なイメージでした。まるで、絵画にペイントされているかのような幻想的なイメージです。
それから急速にウィテカーの音楽は日本の合唱界で人気が高まって中高生を中心に歌われるようになり、毎年のように、合唱コンクール全国大会で数団体がウィテカーの音楽で賞を受賞するようになりました。
私が、2005年から2006年にかけて、合唱楽譜専門ショップの「パナムジカ」で勤務していたころのこと、
ウィテカーの楽譜は人気なため、しょっちゅう在庫補充をしなければならなかったことを覚えています。そのお陰で多忙を極めていましたから。
当時の輸入楽譜売り上げNO1.はJohn Rutter、NO2.はBob Chilcottで、NO3.がEric Whitacreでした。
3名とも存命の作曲家です。Rutterが1945年生まれ、Chilcottが1955年生まれで、Whitacreが1970年生まれの三世代それぞれを代表する作曲家です。出荷業務を担当していたパートさんたちが「作曲家ってみんな死んでる人だと思ってた。」と笑っていたのを思い出します。
と、ここまでは彼の作品が人気が出てきたことしか知りませんでした。
もちろん彼の顔や人となりは、全く知る由もありませんでした。
2008年明けてすぐのまだ寒いころのこと。その年の7月デンマークで開催される「世界合唱の祭典」のパンフレットが送られてきた時、私に衝撃が起きたのです。
この「世界合唱の祭典」とは、3年毎に世界各地で開催される合唱のオリンピックのようなものなのですが、音楽が競われることはなく、展示会や講習会、演奏会が1週間に渡って繰り広げられる祭典で、
「合唱おたく」(ウィテカーが言うところの ' Choir Geek ' )にとっては夢のような週間なのです。
そのパンフレットは、かなり分厚くて、皮膚科の待ち合いで時間つぶしに眺めていました。私は輸入楽譜に携わっていたこともあり、作曲家に興味があったので、
「どんな作曲家が来るんだろう。」と、作曲家のページをパラパラと見ていたその時です!
まるで貴公子のような、私が少女のころ夢に見ていた王子様のようなイケメンの写真が私の目に飛び込んできました。
「だ、だ、だ、誰?これ。」
そうです。これが、エリック・ウィテカーでした。
「うそ。マジで?こ~んなイケメンだったの?」
皮膚科の待ち合いで、思わず大声をあげそうになりました。
当時、私は美容器販売会社の経理事務をしていたのですが、忙殺されて心が死にそうにフラフラに
なっており、そのストレスが皮膚炎に現れてきていたため、なんとか時間をみつけて、皮膚科に
かかるため病院の待ち合いでパンフレットを眺めていたのです。
そんな沈んだ私の心に、一瞬にして明るい光が差し込んできた気がしました。
それまで、彼の音楽しか知らなかった私は、あの複雑な音色を書く人は、きっと気難しい人なんだろうなと漠然と想像していたのですが、そのイケメンな写真を見ても、その表情は、どこか神経質そうな雰囲気が感じられました。
実際に動いてしゃべっている彼を、猛烈に見てみたい気持ちで一杯になり、どうしてもデンマークへ行きたくなり、いてもたってもいられなくなって、その場から友人へメールを送りました。
「私、絶対に有給休暇を取って、デンマークへ行くから!エリック・ウィテカーに会いたいの!すごいイケメンなの!」
急にワクワク、ソワソワしてきました。
「どうしよう。実際の彼もとっても素敵な人で、恋に落ちてしまったらどうしよう。どうしよう。」
この時、既に恋に落ちていたのかもしれません。
2008年7月。
期待に胸を膨らませてデンマークの会場へ向かいました。胸の高鳴りを押さえてウィテカーのワークショップ会場に入ると既に満員状態。ようやく空席を見つけて座るも、配布されている楽譜が足りない状態で、隣の人に見せてもらうという大盛況ぶり。
そして!歓声と共にエリック・ウィテカーが登場してきました。まるでハリウッドスターのような登場でした。
その語り口も、アメリカ人そのもののアメリカ英語でアメリカンジョーク満載。自虐ネタを盛り込んだりして、全く気取りのないその若きアメリカ人作曲家に、私はすっかり魅了されてしまいました。
彼の作品は、混声曲がほとんどで、男声曲・女声曲はほんの数曲しかないためでしょうか、
質問コーナーで、私の前に座っていたご婦人が
「どうして、女声合唱を書いてくださらないのですか?」と少しヒステリックに尋ねた時、
間髪入れずにウィテカーは、
「アイラヴユー、マダム」と、投げキッスを送らんばかりの返しをしたのです。
な、なんですか。これ。
私の前の席のご婦人へ向けてだったのですが、まるで私に向かって「アイラヴユー」と言われたほどの衝撃です。
日本で生活してきた私にとって、こんな合唱講習会は初めてのことでした。
いえ「世界の合唱祭典」で外国人講師のワークショップには参加していましたが、こんな、チャラい感じは初めてです。
少女のころから、歌と英語が好きだった私の心は既にメロメロになっていました。
講習会終了後、写真を撮ろうとウィテカーへ近寄ろうにも、既に人垣が出来ており、あたかも記者会見のような光景でした。ロックスターかハリウッド俳優を眺めているような気持ちでした。
その翌日には、作曲家のラウンドテーブル講習会があります。私は作曲家の卵でもなんでもないのですが、ただウィテカー見たさに受講することを楽しみにその夜を眠りました。
作曲家ラウンドテーブル会場に早めに入ると、昨日のワークショップとは異なり、受講生はまばらでした。しかも日本人参加者は私ひとりでした。これでは目立ちそうな気がして、ミーハー気分でここに居る自分が急に恥ずかしくなりシンガポール人らしきグループの側に座りました。せめてものアジア系に紛れたいという気持ちです。
司会は、Steen Lindholmという合唱界では有名な指揮者とのこと。パネラーは、Whitacreの他、リトアニアのMiskinis、ドイツのBuchenbergと、アイスランドの Sigurbjörnssonの4名。
まぁ日本の合唱界で言えば、 司会:日下部吉彦、作曲家:三善晃、池辺晋一郎、新実徳英、信長貴富というところかな...おほほほ〜♪などとすっかり見物者気分で眺めていたところ、
「さっそくパネラーに自己紹介をしてもらいましょう。まずはエリックから。」と司会者。
すると彼はいきなり「ぼくの名前は、エリック・ウィテカーと言います。好きな食べ物は、寿司です。3歳半の息子がいます。」などとふざけた調子で口火を切りましたので、続くミシュキニスも「私も寿司が好きです。」と笑いを取り、3番目のSigurbjörnssonも「私も寿司が好きです。」と言わなくてはならない空気になり、4番目のブッヘンバーグに至っては困り果てて「私は、寿司はあまり好きではありません。」と言う始末で、しかもこの時に、2番目に自己紹介をしたミシュキニスが「訂正します。私は寿司より刺身が好きです。」と口を挟んで、会場は笑いに包まれたのですが、おそらく受講生は作曲家の卵ばかりだったのでしょう。ムッとしている人が居るような冷ややかな空気が漂っていました。
「おお〜コワっ」と思ったので、このラウンドテーブル終了後は彼には近寄らず、そそくさと会場を後にしました。
その日のワークショップスケジュールが終わり、一旦、ホテルへ戻ろうかと会場を出てボートを待っていた時のこと。
ウィテカーがマネージャーと2人で出て来ました。「おおおおお!」と、その麗しきお姿に目は釘付けになったのですが、その時は話しかける勇気もなく、ただ眺めているだけでした。
その日の夜の演奏会は近くの教会で、出演するのはカナダの musica intimaと、デンマークのHymniaという2団体。
どちらもウィテカー曲を演奏するので、既にウィテカーが客席に居たようで、インターミッションの際に彼が通路を通って会場の外へ出てきました。「おおおおお!」私の目は、またまた彼の一挙手一投足に釘付けです。
私はすっかり、高校生のころの乙女の気持ちになっていました。
その翌日にはウィテカーは帰国したようで、会場に居ても彼には会えず、通路に貼ってある超ビッグなポスターをうっとりと眺めていました。それは、ニューヨークの音楽事務所が主催する演奏会企画で、出演者を募集しているものでした。
「ふむふむ。2009年の3月と6月にニューヨークでエリックが指揮する演奏会に出演できるのね。参加したいな〜。でも仕事を休めるのかな〜。いやいや!そんなことを考えていたら、一生、日本から眺めているだけになってしまう!よ〜し、絶対にこれに参加する!」
これが、世界中をウィテカーを追いかけまわすことを決めた瞬間でした。
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